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千葉地方裁判所 昭和57年(ワ)77号 判決

原告

訴訟代理人弁護士

中川賢二

被告

訴訟代理人弁護士

松下照雄

斉藤正和

主文

一  被告は原告に対し金一六七九万〇二〇三円及びこれに対する昭和五六年七月一四日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを一〇分して、その一を原告の負担とし、その余を被告の負担とする。

四  この判決の第一項は、原告が金二〇〇万円の担保を供するときは、仮に執行することができる。

事実

第一  申立て

一  原告

1  被告は原告に対し金二〇〇〇万円及びこれに対する昭和五六年七月一四日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

との判決並びに仮執行の宣言を求める。

二  被告

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

との判決を求める。

第二  主張

一  原告の請求原因

1  訴外A(以下「A」という。)が昭和五六年七月五日午後一〇時一八分ころ千葉県市川市田尻四丁目一四番二四号先道路わき(以下「事故現場」という。)に立ち止まつていたところ、被告は、Aに近付くや、いきなりAを飛び上がりざま足で蹴り、Aをその場に転倒させて、その頭部を路面に強打させた(以下この出来事を「本件事故」という。)。

そのためAは、脳硬膜外出血の傷害を受け、同月一三日午前一一時二五分市川市二俣一丁目二番五号所在の中沢病院において死亡した。

2  原告は、本件事故当時Aの妻であつた者であり、Aは、当時先妻との間に二人の子をもうけていた。

3  被告の不法行為によつて、原告は、次のとおり損害を被つた。

(一) Aの逸失利益の相続分

Aは、死亡当時三一歳の健康な男子であつた。Aは、当時求職中であつたが、労働の意思と能力があつたから、その月収は、昭和五二年賃金センサス第一巻第一表の産業計・企業規模計・学歴計の年齢階級別平均給与額(月額)を一・〇五九倍した二四万五一〇〇円を更に一・一倍した二六万九六一〇円を下らないものであつた。その年収は三二三万五三二〇円となり、生活費としてその三割を控除する。就労可能年数は三六年であり、これに対応するホフマン係数は二〇・二七五である。以上によつて算出すると、Aの逸失利益の現価は四五九一万七二七九円となる。

原告は、その二分の一に当たる二二九五万八六三九円の賠償請求権を相続して、これを取得した。

(二) Aの慰謝料の相続分

Aは、被告から何ら責められるような事情がなかつたのに、無抵抗の状態で一方的に攻撃を受け、若い生命を奪われた。また、Aは、九日間中沢病院に入院して硬膜外血腫除去手術等の治療を受けた。このような事情に照らせば、Aの慰謝料は二〇〇〇万円を下らない。

原告は、その二分の一に当たる一〇〇〇万円の賠償請求権を相続して、これを取得した。

(三) 治療費等

Aは、昭和五六年七月五日から九日間中沢病院に入院して、前記(二)のような治療を受け、原告は、次の各費用を支払つた。

(1) 治療費 一六九万〇一五〇円

(2) 諸経費 一一万三〇〇〇円

(3) 付添費 一九万二〇〇〇円

右の合計額は一九九万五一五〇円となる。

(四) 葬祭料等

原告は、Aの葬儀を執り行い、葬儀費用六七万八一三九円、関連雑費六万円の合計額七三万八一三九円を支払つた。

(五) 原告固有の慰謝料

原告は、昭和五五年一一月一五日にAと婚姻し、八箇月足らずの婚姻生活を送つたばかりで、最愛の夫を無惨な行為によつて奪われた。この精神的苦痛を慰謝するには一〇〇〇万円が相当である。

(六) 弁護士費用

被告が任意に賠償金を支払わないので、原告は、弁護士中川賢二に本件訴訟の提起と遂行を委任し、着手金として五〇万円を支払つたほか、謝金として二〇〇万円を支払うと約定した。

(七) 以上の(一)ないし(六)の各損害の合計額は四八一九万一九二八円となるが、原告は、本件訴訟において右の一部である二〇〇〇万円の賠償を請求する。

4  そこで、原告は、被告に対し、損害金二〇〇〇万円及びこれに対するAの死亡の日の翌日の昭和五六年七月一四日から完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する被告の答弁

1  1のうち、被告が原告主張の日時及び場所においていわゆる回し蹴りの方法でAを足蹴りし、Aが路上に転倒して頭部を打ち、原告主張の日時及び場所において死亡した事実を認めるが、Aの傷病名は知らないし、その余の事実を否認する。

2  2の事実は知らない。

3  3の各主張を争う。

(一) Aが死亡当時三一歳で、就労可能年数が三六年であり、当時失業者であつた事実を認めるが、Aの月収は昭和五六年五月において約二二万円であり、生活費として四割を控除すべきであり、ライプニッツ方式(係数は一六・五四七)を採用すべきであるから、これによると、Aの逸失利益の現価は二六二一万〇四四八円となり、その二分の一は一三一〇万五二二四円となる。

(二) Aについての諸事情を考慮するとしても、原告主張の慰謝料額は高過ぎる。

(三) 治療費等のうち、付添費が二万八〇〇〇円の限度で正当であることを認めるが、その余の付添費及び諸経費は不当である。

(四) 原告主張の葬祭料等のうちには、Aの父母が支出した分も含まれており、その部分は不当である。

(五) 原告固有の慰謝料額は、原告主張の事情を考慮しても、高過ぎる。

(六) 被告が任意に賠償金を支払わなかつたのは、原告が当初被告に対し合計六六九七万八〇〇〇円という巨額の賠償を請求し、被告にはこれを支払う能力がなかつたからであつた。

三  被告の抗弁

1  被告の行為は、民法七二〇条一項本文に規定された正当防衛に当たるものであつた。その理由は次のとおりである。

(一) Aは、訴外B(以下「B女」という。)及び被告に対して不法行為をした。

すなわち、AとB女は、本件事故当時酒に酔つていた。Aは、手の付けられない状態になつていたB女に激こうし、B女の両腕をつかまえて、B女を激しく地面に投げ飛ばした。そのためB女は、事故現場付近に所在した倉庫のシャッターに頭部等を打ち付け、その場に転倒して、左右の肘と手首の間にあざができ、後頭部にこぶができた。

被告は、その場に差しかかつて、AがB女を激しくシャッターに打ち付けたのを目撃したので、「やめなさい。女ですよ。」と言いながらB女のところに助けに行き、「大丈夫ですか。」と尋ねると、B女は、被告に対し、「ヘルプ、ヘルプ。」と叫んで、必死に助けを求めた。そのため被告がB女を助け起こそうとしたところ、Aは、被告に向かつてファイティングポーズを取り、左手拳で被告の顔面を突いて来た。

(二) 被告は、被告及びB女の権利を防衛するために左回し蹴りをした。

すなわち、AがB女の生命・身体に対する侵害行為を継続し、かつ、左手拳で被告の顔面を突いて来たので、被告は、Aに対し、被告及びB女の生命・身体を防衛する意思をもつて左回し蹴りをした。

なお、被告は、キリスト教的隣人愛等に基づく人道精神ないし人間としての義務から、純粋な善意をもつて介入したのであり、また、日本人の目撃者等が手をこまねていたときに、自身の危険ないし不利益を省みずに介入した。

(三) 被告は、やむを得ず左回し蹴りをした。

すなわち、Aが侵害行為を続けていたので、被告はやむを得ずAに対し、足の甲を用いて左回し蹴りをした。

被告は、空手技のうち急所蹴りや足払いでは危険であると考え、左回し蹴りをしたが、その左回し蹴りも、通常用いる爪先裏指付け根から下の堅い部分(すなわち虎趾部分)で打つよりも甲の部分で打つ方が軽度であり、これでAをひるませることができると考えて、甲を用いて行つた。被告は、空手三段の技を身に付けていたので、左回し蹴りを自分の思う箇所に当てる自信を持つていた。

被告は、Aの攻撃を中止させるために必要な最小限の力を用いた。Aの右顔面には外傷もできなかつた。被告の左回し蹴りの力で転倒するとすれば、Aは、被告から向かつて右方の道路の方へ倒れるはずであつたのに、そうではなく、Aは、被告と向かい合つた位置から後方のシャッターの方へ仰向けに倒れた。すなわち、Aは、被告の左回し蹴りによつて転倒したのではなく、酩酊状態にあつたため、立つたままの姿勢を維持することができなくなり、自分の重力で転倒して、その左側頭部を地面に打ち付けた。

また、被告は、左回し蹴りをしなかつたとすれば、Aに顔面を強打され、B女も更に暴行を加えられる危険な状態に置かれていたのであるから、左回し蹴りをすることは右のような侵害を排除するために必要な手段であつたのであり、他にこれに代わる適切な手段はなかつた。

2  仮に被告に不法行為責任があるとしても、本件事故は、前記1のような情況のもとで引き起こされたのであるから、公平ないし信義則の見地から、損害賠償の額を定めるに当たつて被害者の過失を考慮し、大幅に過失相殺がなされるべきである(民法七二二条二項)。

すなわち、Aは、酒に酔つたB女の態度に激こうして、B女を投げ飛ばし、B女をシャッターに打ち付けた。Aの右のような暴挙が本件事故の発端となつたのであつて、Aは、更に被告に対してファイティングポーズを取り、左手拳で被告の顔面を突いて来た。

また、原告は、B女がシャッターに頭部等を打ち付けて起き上がれない状態でいたのを知つていながら、B女を助けようとする態度を示さず、B女が被告の姿を見て助けを求めていたのを知つていながら、これを傍観していた。

そのために被告は、B女の生命・身体に対する重大な危険が存在するものと判断し、その場に介入するに至つた。

したがつて、A及び原告は、本件事故を引き起こす切つ掛けを作つたのであるから、その過失割合は大きいものであり、九割の過失相殺をするのが相当である。

四  抗弁に対する原告の答弁

1  1のうち、B女が本件事故当時酒に酔つており、被告が空手の有段者であつて、Aを飛び上がりざま足で蹴つた事実を認めるが、その余の事実を否認する。

Aは、本件事故の数年前からB女夫妻と友人関係にあつた。Aは、本件事故当日、原告及びB女夫妻らと事故現場付近のスナックで飲酒した。B女は、その店内で夫と口論した後、店を出て事故現場に来たが、夫の悪口を言いながら再び店へ入ろうとした。Aは、B女の酒癖が悪いことを知つていたので、B女が店の方へ行かないようになだめて、これを止めようとした。その時原告は、Aらから二メートル足らずの路上に立つていた。ところが、B女は、泥酔していたため、自分で尻もちをつき、シャッターに身体を打ち付けた。その後AとB女は、離れたままでいた。

被告は、そのころ事故現場にやつて来て、周りにいた女性の一人から制止されたのに、その手を振り払い、強引にAに近付いて、いきなりAを飛び上がりざま足で蹴り、Aを路上に転倒させた。Aが被告に対して殴りかかるような気勢を示したことはなかつた。

また、被告は、Aを足で蹴る前に、Aの手をつかむなり、Aを羽がい締めしたりして、Aの行動を抑制することができたのに、これをしなかつた。

被告のした行為は、何ら緊急の事態が生じていなかつたのに、必要性と相当性の限度を越えてなされたものであり、Aに対する違法な攻撃に当たるものであつた。

2  2の事実を否認する。

第三  証拠関係〈省略〉

理由

一被告が昭和五六年七月五日午後一〇時一八分ころ事故現場においてAを足で蹴り、Aがその場に転倒して頭部を打ち、Aが同月一三日午前一一時二五分市川市二俣一丁目二番五号所在の中沢病院において死亡した事実は、当事者間に争いがない。

被告の暴行とAの死亡との間の因果関係について検討する。

1  〈証拠〉によれば、次の事実を認めることができる。

(一)  本件事故が発生した場所は、東西に通ずる県道若宮市川西船線の北側に接する訴外福田光司所有の宅地内に位置し、福田所有の車庫と県道との間の空地であつて、その空地は倉庫出入口の車寄せとして利用され、コンクリートで舗装されていた。

(二)  県道は、幅員七・三〇メートルでアスファルト舗装されており、県道の南側に接して東方から西方へ順に、クリーニング「田尻本店」、中華料理「丸義飯店」、スナック「サワ」の各店舗が並んでいた。

2  〈証拠〉によれば、次の事実を認めることができる。

(一)  被告(当時三一歳)は、本件事故当日独りで映画を観た後、地下鉄東西線原木中山駅から自転車に乗つて、市川市田尻五丁目七番一三号所在原木中山マンション四〇二号の自宅に帰る途中、事故現場付近に差しかかつて、B女が福田光司方倉庫入口の鉄製シャッターに身体を打ち付けて地面に倒れたのを目撃したので、自転車から降りてB女に近付き、B女を助け起こそうとした後、身体を右の方に回しながら立ち上がつて、A(当時三一歳)と向かい合つた。

被告は、身長が約一八〇センチメートル(五フィート一一インチ)、体重が約七三キログラムであり、Aは、身長が約一六〇センチメートル、体重が約六〇キログラムであつた。

(二)  被告は、剛柔流空手三段であつたが、Aとの間に一メートルないし一・二五メートルの距離があつたところから、靴を履いたままの左足の甲部分を使つて、Aの右顔面付近を回し蹴りの技法で蹴つた。

回し蹴りの技法には数種類あつたが、被告は、左足を目標の位置まで回しながら上げ、それを水平に動かして目標に当てるという技法を用いた。

Aは、その直後、車寄せのコンクリートの地面に仰向けに転倒し、そのまま動かなくなつた。

3  〈証拠〉によれば、次の事実を認めることができる。

(一)  Aは、昭和五六年七月五日(日曜日)午後一〇時三三分、救急車で中沢病院に搬送され、当直医師訴外梅村真理の診察を受けた。

梅村医師は、Aの状態について、「意識なし、昏睡状態、左瞳孔散大、右瞳孔対光反射なし、自発呼吸は弱いがあり、腹部は平坦軟、呼気中のアルコール臭高度、血圧一二〇−六〇」との所見を得たので、直ちに輸液路確保のための点滴、気道確保のためのカテーテル挿入、純酸素による調節呼吸の開始、口腔内の汚物吸引などの救命処置を施した。

(二)  中沢病院の副院長医師訴外永津正章は、同月六日午前八時三〇分ころAを診察し、「舌根沈下状態、前昏睡状態、左瞳孔完全散大、右瞳孔中等度散大、両眼とも対光反射なし、血圧脈拍正常、左側頭部に挫創あり、胸腹部四肢に外傷なし」との所見を得たので、頭蓋内出血の疑いがあると診断し、左頸動脈と頭部のレントゲン検査をして、これを確認した上、同日午前一一時二五分執刀で手術を行つた。

永津医師は、左側頭開頭術をして、硬膜外血腫を除去し、更に硬膜を切開して、硬膜下の血性脳脊髄液を吸引した。

また、レントゲン検査の結果、左側頭部に長さ約一一センチメートルの骨折があつたことが判明した。

(三)  Aは、意識を回復するまでにも至らず、同月一三日午前一一時に心臓が停止して、午前一一時二五分に死亡が確認された。

Aの直接の死亡原因は、左側頭部に加えられた強い外力による脳の挫傷であつた。

4 以上の1ないし3に認定した事実を総合すると、Aは、被告と向かい合つた状態で、被告の左回し蹴りを右顔面付近に受け、その衝撃で後方に倒れた時、車寄せのコンクリートの地面に左側頭部を激しく打ち当て、その部分に骨折を生じた上、脳の挫傷を負つたものと認めるのが相当である。すなわち、被告の左回し蹴りとAの死亡との間には相当因果があつたものと認めることができる。

〈証拠〉によれば、Aは、中沢病院に搬送された時、呼気中のアルコール臭が三プラスの段階に達し、非常にアルコール臭かつた事実を認めることができ、また、〈証拠〉によれば、千葉大学教授訴外木村康は、中沢病院から提出されたレントゲン写真から見て、普通前頭骨の厚さは八ミリメートルくらいあるのに、Aのそれは五ミリメートルくらいであり、Aの頭蓋骨は全体として薄いように感じたと鑑定した事実を認めることができる。しかし、右のような事実があつたからといつて、それがAの転倒及びこれによる脳挫傷にどの程度の影響を及ぼしたかについては、これを的確に認定するに足りる証拠がないのであるから、右のような事実をもつて、前記の相当因果関係の存在を認定するにつき妨げとなる事由に当たると見るのは相当でない。

二被告主張の正当防衛の抗弁について考察する。

1  〈証拠〉によれば、次の事実を認めることができる。

(一)  被告は、昭和四八年九月一五日英国の教会で訴外Cと結婚式を挙げ、その翌日Cとともに日本に来た。Cは、同月下旬に婚姻の届出をし、被告との間に男子をもうけていたが、本件事故の発生日から一週間後に第二子の男子を出産した。

(二)  被告は、英国のハイスクールを卒業した後、チェスターフィールド工業専門学校で英語と経営学を勉強したが、英国において剛柔流の空手を習い、初段の資格を得た。

(三)  被告は、昭和四九年初めころから昭和五一年まで日本語学校で日本語を勉強し、昭和四九年からトーマス会話学院に勤務して、日本人に英会話を教えていた。

また、被告は、武道に関心を持ち、それぞれの師範に師事して、本件事故当時には剛柔流空手三段、居合道三段、杖道二段、柔道一級の資格を取得していた。

2  〈証拠〉によれば、被告は、刑事事件及び本件訴訟において次のように供述していることが分かる。

(一)  被告は、県道の南側部分を自転車に乗つて進んで来たが、丸義飯店の前まで来た時、前方に人が居て、進むことができなくなり、自転車にまたがつたままその場に止まつた。被告は、その時県道の北側の倉庫の前あたりで人が動いているように感じたので、その方に目をやり、次の(二)のようなことを目撃した。

(二)  福田光司方倉庫のシャッターの前に男(A)と女(B女)が居た。Aは、B女の腕をつかまえて、強く引つ張り回そうとしていた。B女は、それを逃れたいというふうにしていた。それは、B女の髪が揺れていたので分かつた。その直後Aは、B女を投げ倒した。すなわち、Aは、B女の右腕を右方向に引つ張つたので、B女は、右方向に回転する形で倒れた。その時B女は、シャッターに身体を打ち付けて、大きな音を立て、地面に倒れた(以下この部分を「被告の供述第一点」という。)。

(三)  被告は、倒れたB女が「助けて。」と言うのを聞いたので、丸義飯店の前で、「やめなさい。女ですよ。」と叫び、自転車から降りて、急いでB女のところへ行つた。B女は、地面に坐つていた。被告がB女の上膊部に手を置いて、「大丈夫ですか。」と尋ねると、B女は、「助けて。」と言い、被告の顔を見た後、「ヘルプ、ヘルプ。」と言つた。被告は、B女を助け起こそうとしたが、B女が起き上がろうとしなかつたので、B女から手を離した。

(四)  被告は、その直後身体を右に回転させながら立ち上がり、「AがB女に攻撃を加えることをやめてください。」という意味で両手を前方に低く出しながら、Aと向かい合つた。するとAは、両手をこぶしに握り、左手を前方に出して右手をやや後方に構えた上、その左手を突き出して被告に攻撃を仕掛けるような仕草をした(以下この部分を「被告の供述第二点」という。)。

(五)  被告は、その瞬間顔の真中あたりをたたかれるのではないかと即断し、Aの右頬部あたりにすきがあるのを見取つて、とつさに左回し蹴りを用い、Aの右頬部あたりを蹴つた(以下この部分を「被告の供述第三点」という。)。

3  ところで、〈証拠〉によれば、次の事実を認めることができる。

(一)  Aは、昭和五五年一一月一五日原告と婚姻し、本件事故当時は市川市原木一丁目一六番六号原木マンション三〇五号室で原告と二人で暮らしていた。

B女は、本件事故当時四二歳で、市川市原木一丁目一一番二九号に夫と暮らしていた。

Aは、本件事故当時失業中であつたが、以前はB女と同じ会社に勤め、原告と婚姻する前にはB女と二人でよく酒を飲みに行つた。B女は、酒が好きであつたが、酒癖が悪かつた。

(二)  Aと原告は、昭和五六年七月五日午後六時過ぎころ、自宅にB女夫妻及び訴外K夫妻を招いて飲食し、六人でビール六本くらいを飲んだ。

次いで、右の六人は、同日午後八時過ぎころ市川市田尻五丁目一五番五号所在のスナック「サワ」に飲みに行つた。サワでは、AとB女が冷酒を飲み、B女の夫がビールを飲み、原告はウイスキーの水割りを飲んだ。B女と夫の二人が特にひどく酔つた。

K夫妻は、同日午後一〇時少し前ころサワを出て、タクシーで家に帰つた。

その後B女の夫がさ細なことから客に頬をたたかれ、B女が「うちの主人に何をするんだ。」と詰め寄つたりしたので、Aは、B女をなだめ、B女を抱えながら、同日午後一〇時過ぎころB女の夫及び原告とともにサワの店を出た。

(三)  Aは、店を出ると、B女らとともに県道を横切つて、福田光司方倉庫前車寄せまで行き、B女の気を静めた。ところが、B女の夫は、再びサワの店内に戻つてしまつた。B女は、これに気付いて怒り出し、「乙山、てめえ出て来い。」などと怒鳴り散らした。

Aは、B女に「やめなさい。」などと言い、B女の腕を押えながらB女をなだめようとしたところ、B女はこれに反発し、Aに対し「うるせえ、A」などとわめきながら、Aの手を振りほどこうとした。そのためAとB女は、からみ合うような状態となつたが、Aが「いい加減にしなさい。」と言つて、手を離したところ、B女は、勢い余つて後ろのシャッターに身体を打ち付け、その場に尻もちをついた。

〈証拠〉によつては、右の認定を覆すのに十分でなく、他に右の認定を左右するに足りる証拠はない。

4 したがつて、3に認定した事実に照らせば、AがB女の腕を押えながらB女をなだめようとしたことに対して、B女が反発し、Aの手を振りほどこうとしたからといつて、AがB女の反発行為に激こうし、B女の両腕をつかまえてB女を地面に投げ飛ばしたというような事実は、これを推認することができないのであり、Aには終始B女に対して攻撃を加えようとするような意図はなかつたものと認めるのが相当である。もつとも、〈証拠〉によれば、B女は、本件事故の後、左内側上腕部、左内側前腕部、右内側前腕部にそれぞれあざができていた上、右後頭部あたりにこぶができていた事実を認めることができるのであり、この事実によれば、Aは、B女の両腕を押えてB女とからみ合つた際、B女の反発力とも相まつて、B女の両腕に強い力を加えたものと推認することができる。しかし、それは、Aの手を振りほどこうとしてもがいていたB女を制止するために必要な力として加えられたものと見るのが相当であつて、そのような強い力が加えられたこと自体がAのB女に対する暴行の故意(攻撃の意図)を如実に示すものであつたと見るのは相当でない。

してみれば、被告の供述第一点については、被告が3の(三)に認定した客観的状況を把握するについて誤りを犯してしまい、その誤解した認識に基づいて、Aが意図的にB女を強く引つ張り回して、B女を投げ倒し、B女に攻撃を加えたものと思い過ごすに至つたものと見るのが相当である。

〈証拠〉によれば、被告は、早くからはぐくまれたキリスト教的隣人愛に根差した善意から、シャッターの前に尻もちをついたB女を助けに行き、B女から「ヘルプ、ヘルプ。」と言われたので、一層AがB女に攻撃を加えたものと思い込んだ事実を認めることができるのであるが、被告の認識に誤りがあったものと指摘すべきことについては、これを防げるに足りる事由がない。

5  次に、被告の供述第二点についてであるが、被告は、刑事事件の捜査段階(乙第六六号証の昭和五七年三月一八日)から本件訴訟の本人尋問期日(昭和六〇年六月四日)に至るまで終始一貫して同じ趣旨の供述を繰り返し、数名の目撃者が被告と異なる供述をするのは、目撃者らがAの動作を十分に観察していなかつたことによるものであつて、被告自身が最も正確にAの動作を見ていたと供述している。

確かに、刑事事件の証人星里美は、「Aは、B女の方を向いていたが、被告は、Aの横に方に行つて、急に右足でAの左耳の後ろあたりを回し蹴りした。」と証言し(乙第九号証)、同証人森沢武は、「B女がヘルプ、ヘルプと言つた後、直ぐ被告がAの胸あたりを足で蹴つた。右足であつたように思う。AはB女の方を見ていたような気がする。」と証言し(乙第一〇号証)、同証人越川憲明は、「足で蹴る直前、被告は、倉庫のシャッターの方を向き、Aの方を向いていた。Aは、被告の方ではなく、西方の花壇の方を向いていた。被告は、右足でAの腰より下の方を回し蹴りしたと思う。」と証言し(乙第一一号証)、同証人X(原告)は、「被告がB女のところに行つた時、Aは、黙つてB女の方を見ていた。被告がAの方へ行つてから、その方を見た時、被告の身体の右の方から足が下りた状態を見た。」と証言して(乙第一二号証)、各証言の内容はまちまちである以上、被告の終始一貫した供述と著しく異なつている。しかし、3に認定した事実に照らせば、AにはB女に対して攻撃を加えようとする意図がなかつたものと認めることができるのであるから、Aは、B女が車寄せの地面に尻もちをついた後においても、その方を見て、これを傍観していたに過ぎなかつたものと推認することができる。したがつて、このようなときに、被告が突如目の前に現われたのを見て、Aがとつさに左手を前方に右手をやや後方に構えた上、左手を突き出して被告に攻撃を仕掛ける仕草をしたというようなことは、通常考えられないことである。Aが右のような構えをするのには、左足と右足についてもこれに応じた所作をする必要があつたものと推測することができるところ、〈証拠〉によれば、Aは、棒が倒れるような格好で、地面に仰向けに倒れた事実を認めることができるのであるから、Aは、少なくとも下半身においては、身構えるような所作をしていなかつたものと推認することができる。

すなわち、被告は、Aに接近して、最も良くAの動作を見ていたのであるが、被告には既に4に説示したような誤解があつたことから、その誤解に基づいてAにも立ち向かつたものと推認することができるのであり、被告は、Aの挙動について、これを冷静に観察する余裕を失い、軽々にAが被告に攻撃を仕掛けるような仕草をしたと誤解したものと見るのが相当である。

以上のことは、被告の供述第三点についてもいうことができるのであつて、被告がAの左手で顔の真中あたりをたたかれるのではないかと即断しても、それは、被告の思い過ごしによるものであつて、そのような客観的状況は存在していなかつたものと見るのが相当である。

6  以上を要するに、AがB女の態度に激こうし、B女の両腕をつかまえて、B女を激しく地面に投げ飛ばし、B女を倉庫のシャッターに打ち付けてその場に転倒させたとの事実、及びAが両手をこぶしに握り、左手を前方に出して右手をやや後方に構えた上、その左手を突き出して被告の顔面に攻撃を仕掛けるような仕草をしたとの事実については、〈証拠〉によつても、これを認めるのに十分でなく、他に右の事実を認めるに足りる証拠はないことに帰する。

また、被告がAに左回し蹴りをした時点において、AがB女の身体に対する攻撃を継続していたとの事実、及びAが左手拳で被告の顔面を突いて来たとの事実についても、右と同じ理由によつて、これを認めるに足りる証拠はないものというほかない。

7 そうすると、AのB女及び被告に対する不法行為の存在について、これを認めるに足りる証拠がなく、したがつて、AのB女及び被告に対する侵害の危険の存在換言すればB女及び被告の権利の防衛の必要性についても、これを認めるに足りる証拠がないのであるから、後記8の防衛行為としての相当性の存否について検討するまでもなく、被告主張の正当防衛の抗弁は理由がなく、これを採用することはできないものというべきである。

8 なお、被告の行つた左回し蹴りの相当性の存否について検討してみるに、被告は、前記一の2に認定したような経緯で左回し蹴りを行つたものであり、これを決断した動機は、前記二の2の(五)の被告の供述第三点のとおりである。また、〈証拠〉によれば、「被告は、Aの左手拳が被告の顔面に向かつて動いており、しかも、被告が自分の身体を動かすよりも、Aの左手拳の方が早く動いてくるように見えたので、反射的にこれを防ぐにはこの方法しかないと考え、左回し蹴りの技法でAの右頬部あたりを蹴つた。急所蹴りと足払いの技法は、いずれも相手の生命身体に危険を及ぼすので、これを用いなかつた。回し蹴りには虎趾部分で蹴る方法もあるが、Aを驚かすだけで十分であると考えたので、左足の甲部分で回し蹴りをした。被告は、左回し蹴りを得意技としていたので、その技を十分に制御することができた。Aに対しては最低の力を使い、平手でたたく程度の力を加えたに過ぎなかつた。」というのである。

しかし、被告の右のような供述については、次のようにいうことができる。

(一)  被告の身長が約一八〇センチメートル、体重が約七三キログラムであつたのに比べ、Aの身長は約一六〇センチメートル、体重は約六〇キログラムであつた(前記一の2の(一))。

〈証拠〉によれば、Aは、空手・ボクシングの技を習つたことがなく、本件事故当日はティーシャツを着て、ジーパンをはいていた事実を認めることができる。

(二) 前記二の5に説示したように、Aが被告に向かつて左手拳を前方に出しながら身構えた上、その左手拳を突き出して被告に攻撃を仕掛ける仕草をしたとの事実は、これを認めることができないのであるが、被告の終始一貫した前記供述に照らせば、被告は、向かい合つたAの動作に何らかの変化が生じたのを察知したので、とつさに左回し蹴りをしたものと推認するのが相当である。そして、被告がAの方を振り向きざま、両手を前方に低く出しながら無言でAに近付き、Aと向かい合つたもの(被告の供述第二点、乙第一五号証)とすれば、Aは、不意を突かれて、これに驚き、とつさに両手を身体の前方に出すような仕草をしたものと推認することができる。しかし、Aが右のような所作をしたとしても、それは、被告の右のような行動に対する防御の意図から出たに過ぎなかつたものと推測するのが相当である。

したがつて、被告が瞬時の間を置いて相手の動静を観察したとすれば、被告は、Aが無防備のまま立つている者であり、かつ、空手技などを身に付けていない者であることを容易に見抜くことができたものと見るのが相当である。被告は、「日本には被告より背の低い人で有名なボクサーが居ることを知つていた。とにかくAにはたたかれたくなかつた。」と供述している(乙第一五号証、第五五号証)のであるが、客観的には急迫不正の侵害が存在していなかつたのであるから、被告が瞬時の間を置かなかつたことについては軽率な点があつたものというべきである。

(三)  被告は、急所蹴りと足払いを避け、虎趾部分で蹴ることも止めたと供述している。しかし、これらの技法による危険性と左足甲による回し蹴りの危険性との度合いを比べてみても、それは大して意義がないのであつて、被告の行つた左回し蹴りが必要であり、かつ、相当であつたか否かを考察すれば足りるのである。

ところで、被告は、自分のした左回し蹴りについて前記のように供述しているのであるが、〈証拠〉によれば、被告は、左回し蹴りでAの右頬部あたりを蹴り、それが当たつたという感触を確認したが、その後はAの方を見向きもせず、蹴り終わつた直後にB女の方に向き直つたというのであり、また、被告がB女の方に向き直つた時、B女は、既に起き上がつてAの方を見ていたというのである。

右のような被告の供述によれば、被告は、一回の左回し蹴りで、その時に意図した目的を達したものと認識したこととなり、しかも、被告は、蹴つたあとを目で確認する必要がないほど、左回し蹴りの手応えを得ていたものと推認することができる。したがつて、Aが棒の倒れるような格好で仰向けに倒れたこと(前記二の5)、Aが左側頭部に長さ約一一センチメートルの骨折を負い、脳の挫傷を負つたこと(前記一の3)に照らせば、被告の左回し蹴りによる衝撃力は、被告が最低の力を用いたと供述しているにもかかわらず、Aにとつてはかなり大きいものであつたと推測することができる。それに、Aは、被告に対して何ら攻撃を加えるような態度を示していなかつたのであるから、被告としては、Aの動静を見定めて、それに対応する適切な措置を講ずることができたはずであつたということができる。被告は、「その時は事態が切迫していたので、あれこれ考える余裕はなく、左回し蹴りをする以外に他の適切な方法はなかつた。」と繰り返し供述している(乙第一五、第一六号証、第五五号証)のであるが、それは、被告が客観的状況を見誤つて、そのように思い込んでしまったに過ぎないものと見るのが相当である。

そうすると、被告は、その必要性がなかつたのに、相当性の限度を越えて、Aに対し左回し蹴りをしたものというべきである。

三被告主張の過失相殺の抗弁について考察する。

1 公平ないし信義則の見地から、過失相殺の当否について考察するに、被告は、前記一の2に認定したような経緯で本件事故を引き起こしたのであり、被告がその客観的状況を的確に把握せず、誤つた認識のもとに終始行動していたことは、前記二の2ないし8に認定し説示したとおりである。

2  すなわち、被告は、たまたま事故現場付近に差しかかつて、その場に立ち止まつた際、AがB女とからみ合つているのを目撃し、かつ、B女がAの手から離れてシャッター前の地面に倒れ込んだのを目撃して、即座に強い男性が弱い女性をいじめているものと思い込み、その認識に誤りがないものと確信して、キリスト教的隣人愛に根差した観点から、一刻も早く弱い女性を救助しなければならないと決意し、そのことのみを念頭に置いて行動を起こした上、その行動を継続して、本件事故を引き起こすに至つた。被告は、AがB女及び被告に対して急迫不正な侵害行為をしているものと誤信し、その侵害行為を急いで阻止しなければならないと観念して、Aに左回し蹴りをしたのであり、それ以外の動機で、例えば単純に暴行を加えてみようという意思で、Aに左回し蹴りをしたのではなかつた。また、被告は、みずから信じた正義はみずからこれを実行しなければならないと観念して、一連の行動を取つたのであり、被告が周囲の状況を確かめることもせず、見ず知らずの者の中に飛び入つてこれを実行しようとしたことは、被告の信念の原点が純粋なものであつたことを示すものということができる。そして、事故現場付近の照明が十分でなかつた(乙第七号証)ことから見て、車寄せあたりでAがB女の腕を押えながらB女とからみ合うような状態となつていたのを目撃した場合、その事情を良く知つた者でなければ、被告と同じような誤認に陥ることを避けることは困難であつたものといえないこともない。

3  〈証拠〉によれば、被告が自転車から降りてB女の方へ行こうとした際、県道ないし車寄せあたりには、AとB女のほか、原告、スナック「サワ」の経営者訴外小沢和子及びサワの従業員訴外星里美が立つていた事実を認めることができるところ、星は、「関係のない人(被告)が来て、……もしかしてけんかにでもなつたら、……事が大きくなるようでは困ると思つたので、……外人の方に走つて行き、『何でもないから、大丈夫ですよ。』と言つた。外人は、何か言つたようだが、右ひじを私の左耳の下あたりに当て、払いのけるようにして、B女の方に向かつてしまつた。」と供述し(乙第九号証)、原告は、「被告が、『やめなさい。その人はレディですよ。』と言つて近付いてきたので、AがB女をいじめているように誤解しているような気がした。そこで私は、右手を前方に出して、左右に小さく振りながら、『違います。』と言つた。被告は、私の方を見る様子もなく、B女の方へ行つてしまつた。」(乙第一二号証)と供述している。

右のような供述によれば、原告らは、被告がその場の様子を誤解しているものと見て取り、被告がB女に近付く前にその誤解を解かなければならないと考えて、その行為に出たのであるが、右のような制止の仕方では十分でなかつたものということができる。そして、原告らが被告の言動にただ事でないものを看取したとすれば、原告らは、事態の進行を阻止すべく、被告に接近して大声を上げるなど、被告の誤解を解くために有効な手段を講ずることができたものと推測することができる。

4 本件事故を引き起こす発端となつたものは、Aが通行人の多い県道わきの車寄せで、B女の腕を押えながらB女とからみ合うような状態を作り出し、更に、急に手を離してB女に尻もちをつかせたことである。Aがした右のような行為は、通行人の関心を引き易いものであり、また、事情を知らない者がこれを目撃した場合には、AがB女をなだめているものやら、B女をいじめているものやら、これを見分けることが難しい性質のものであつたということができる。したがつて、Aとしては、目撃者の多い場所で女性の腕を押えたり、女性とからみ合つたりするようなことを避けるべきであつたものということができる。

5 以上のような事情に照らすと、Aは、B女に対しても被告に対しても何ら不正な行為をしていなかつたのであるが、被告の純真なキリスト教的隣人愛ないし正義感に根差した真しな行為を誘発する状態を作り出したことにおいて不注意な点があつたものというべきであり、被告が右のような行為に出たことについては、一概にこれを非難することができないものというべきである。

したがつて、被告主張の過失相殺の抗弁は理由があるものというべきであるから、損害賠償の額を定めるに当たつては、被害者の過失を考慮すべきこととなる。

そして、前記一及び二に認定した被告の加害行為の態様と比べると、被害者の過失の程度については、これを四割に当たるものと認めるのが相当である。

四原告の身分関係について考察する。

〈証拠〉によれば、次の事実を認めることができる。

1  Aは、昭和二五年三月二四日生まれの男子で、昭和四六年八月一七日訴外D女と婚姻し、D女との間に長男訴外E(昭和四七年三月九日生)と長女訴外F(昭和四八年七月九日生)をもうけたが、昭和五四年五月一八日二人の子の親権者をいずれも母D女と定めて、D女と協議離婚をした。D女は、離婚後も「A」の氏を称している。

2 原告は、昭和三一年四月三日生まれの女子であり、Aと恋愛して、親の反対を押し切り、昭和五五年一一月一五日Aと婚姻した。

また、次の事実は、当裁判所に顕著である。

1 原告は、昭和五七年七月一五日、Aとの婚姻前の氏であつた「G」の氏に復した。

2 原告は、昭和六〇年一〇月一五日より以前に、訴外Hと婚姻し、夫の氏を称している。

五被告は、Aに対する不法行為に基づいて、次の損害を賠償すべきである。

1  Aの逸失利益

原告の供述によれば、Aは、健康な男子で、昭和五四年ころから昭和五六年五月まで、運送業を営む訴外沢田組にトラックの運転手として勤務し、月額二二万円ないし二三万円の給料(手取り)を得ていたが、その後は職に就かず、本件事故当時は失業中であつた事実を認めることができる。

Aは、その年齢から見て、死亡時の昭和五六年七月一三日からあと三六年間就労することができたものと推測することができる。

Aは、右の収入を得ていたが、逸失利益算定の基準としては、昭和五六年賃金センサス第一巻第一表の企業規模計・産業計・男子労働者・新高卒・三〇〜三四歳のきまつて支給する現金給与額月額二二万六四〇〇円、年間賞与その他特別給与額七五万六四〇〇円を採用するのが相当であり、これによると、その年収は三四七万三二〇〇円となる。

原告の供述によれば、原告は、本件事故当時訴外第一製薬株式会社に勤務して、月額一三万円ないし一四万円の給料を得ていた事実を認めることができるから、Aの生活費としては、収入の四割を控除するのが相当である。

中間利息は、ライプニッツ方式を採用して控除するのが相当である。

以上によると、逸失利益の死亡時における現価は、二〇八万三九二〇円に一六・五四六八(係数)を乗じて、三四四八万二二〇七円(円未満切捨)となる。

原告は、Aの妻であつた者として、右の二分の一に当たる一七二四万一一〇三円(円未満切捨)の請求権を相続したこととなる。

2  Aの慰謝料

Aは、酒に酔つて怒鳴り散らしていたB女をなだめようとして、B女とからみ合うような状態になつたところを被告に誤解されて、被告から一方的に攻撃を受け、脳挫傷等を受けて、三一歳の生命を奪われたのであるから、その精神的苦痛は著しく大きいものであつたと認めることができる。

それに、Aは、原告と約八箇月の婚姻生活を送つたに過ぎなかつたのであるが、その原告がAの一周忌の直ぐ後に婚姻前の氏に復し、四年後にはHと婚姻しているのであるから、これらの事情を考慮すると(ただし、過失を除く。)、Aの慰謝料としては一〇〇〇万円の限度において認容するのが相当である。

原告は、Aの妻であつた者として、右の二分の一に当たる五〇〇万円の請求権を相続したこととなる。

3  治療費等

Aは、昭和五六年七月五日から同月一三日まで九日間中沢病院に入院して治療を受けた。

(一)  〈証拠〉によれば、原告は、昭和五八年一一月一九日中沢病院に対し、Aの治療費として一六九万〇一五〇円を支払つた事実を認めることができる。

(二)  〈証拠〉によれば、原告は、病院保証金・諸雑費・電話代として一一万三〇〇〇円を支払つたというのであるが、保証金は後日返戻されるものであり、諸雑費・電話代についてはその内容及び本件事故との間の関連性(相当因果関係)が判然としない。入院に伴う諸雑費としては、通例に従い、一日当たり一〇〇〇円とし、九〇〇〇円の限度において認容するのが相当である。

(三)  〈証拠〉によれば、入院中のAには原告、原告の兄訴外I(大工業)及び原告の父の三人が付添い、原告を除く二人の付添料が一人一日一万二〇〇〇円で八日分合計一九万二〇〇〇円であるというのである。しかし、Aの容態が重篤なものであつたことを考慮しても、本件事故との間に相当因果関係のある付添費としては、原告の付添分一日当たり四〇〇〇円で八日分の三万二〇〇〇円の限度において認容するのが相当である。

4  葬祭料等

〈証拠〉によれば、原告は、Aの葬儀費用として、葬儀料・葬式供養料・運転手心付け・諸雑費の合計五一万一四一九円を支出した事実を認めることができ、これを認容するのが相当である。

〈証拠〉によれば、Aは、愛媛県喜多郡長浜町出身の者であり、Aの父訴外Jが重ねて長男Aの葬儀を長浜町で執り行つたので、原告、原告の兄I、原告の弟及び父の四人がこれに出席し、原告らは、航空料金・宿泊先心付け・供物料・タクシー代として合計一六万六七二〇円を支出した事実を認めることができる。しかし、原告は、既に施主としてAの葬儀を執り行い、その葬祭料の支払を請求しているのであるから、これに加えて四国長浜町での葬儀に出席するのに要した費用までを、本件事故との間に相当因果関係があるものとして被告に負担させるのは相当でない。

5  原告の慰謝料

原告は、親の反対を押し切つてまでAと婚姻したのに、Aとは八箇月足らずの婚姻生活を送つたに過ぎなかつたのであるが、原告は、Aの一周忌の直ぐ後に婚姻前の氏に復し、四年後にはHと婚姻して、新たな人生を享受しているのであるから、原告固有の慰謝料としては一〇〇万円の限度において認容するのが相当である。

6  以上の1ないし5の損害の合計は二五四八万三六七二円となる。

被害者の過失を考慮すると、右の合計額についてその四割を減額するのが相当であり、これによるとその残額は一五二九万〇二〇三円(円未満切捨)となる。

7  被告が任意に賠償金を支払わないため、原告が弁護士中川賢二に本件訴訟の提起と遂行を委任した事実は、当裁判所に顕著であり、〈証拠〉によれば、原告は、中川弁護士との間に、着手金として五〇万円、報酬として二〇〇万円を支払うと約定した事実を認めることができる。

しかし、6の認容額など諸般の事情を考慮すると、弁護士費用としては一五〇万円の限度において認容するのが相当である。

8  そうすると、被告は、原告に対し、6と7の合計額である一六七九万〇二〇三円を賠償すべきこととなる。

六以上のとおりであるから、原告の請求は、被告に対し損害金一六七九万〇二〇三円及びこれに対する不法行為の日の後の昭和五六年七月一四日から完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度において正当であり、これを認容すべきであるが、その余は不当であるから、これを棄却すべきである。

そこで、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条、九二条本文を、仮執行の宣言について同法一九六条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(判事加藤一隆)

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